先駆者たちの系譜
タカハシパールの歩み

 
1915(大正 5) 安家、予土真珠の大株主となる。
1920(大正 9) 宿毛湾を襲った大水害により、安家は全財産を失い、負債を被る。
1921(大正 10) それをきっかけに安家は神戸に拠点を移し種々の商売に着手するが、失敗。
1922(大正 11) この年の春、ふとしたことから真珠漂白のアイデアを思いつき、それに成功。従兄弟とともに合資会社を設立し、本格的な真珠加工業に取り組む。
1924(大正 13) 企業が軌道に乗り始める。「現代の錬金術」真珠加工業の始まり。
第二次大戦のため、休業。
 
1924 小富士商会慰安旅行(高橋真助 左より2人目)
1945(昭和 20) 安家没。享年67歳。
1949(昭和 24) 安家の娘婿である高橋真助が独立し、神戸・北野の地にて兄弟とともに合名会社「高橋兄弟商会」を興す。これ以後、真珠業界は輸出産業として急激に成長して行く。
1955(昭和 30) 長男の利栄が入社。
1961(昭和 36) 次男の英二が入社。
1967(昭和 42) 三男の洋三が入社。
1968(昭和 43) 数年来の真珠過剰生産により、一気に価格が暴落。業界全体が不況に突入する。
1969(昭和 44) 真助は相談役として退き、かわって長男の利栄が代表社員となる。
1975(昭和 50) この頃より価格が安定し始め、業界もようやく不況から脱出する。
1981(昭和 56) 神戸ポートピア'81の開幕に合わせ、本社社屋を建設。
1984(昭和 59) 1月、高橋兄弟商会の真珠部門を「タカハシパール株式会社」として分離。長男・利栄が代表取締役会長に、次男・英二が利栄が代表取締役社長に、三男・洋三が取締役副社長に就任。
伊勢支社開設。
1989(平成 1) 製品部門発足。
1994(平成 6) 宇和島支社開設。
1995(平成 7) 東京営業所開設。
2000(平成12) 高橋真助没。享年93歳。
 
加工技術の開拓者
藤堂 安家
YASUIE TODO
1879(明治12)〜1945
高知県宿毛市に誕生
 
1955 高橋兄弟商会内
 
1957 宇和島養殖場にて(現会長)
 
1957 宇和島養殖場
 
1960 高橋兄弟商会前:高橋真助
1907(明治40)〜2000

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